味の牛たん喜助

仙台牛たんの歴史に迫る

1978年4月、一番町店のカウンター席に腰かける白い調理衣姿の喜助創業者・大川原要
HISTORY

仙台牛たんの歴史

戦後の一軒の店から、仙台名物になるまで。

創業者・大川原要。1978年4月、店内にて。

牛たん焼きは仙台で生まれた料理です。焼肉店のタン塩とは別物で、厚切りにした牛たんを塩で仕込み、数日寝かせてから炭火で焼きます。このページでは、仙台牛たんの歩みを、喜助の50年とあわせてご紹介します。

牛たん焼きのはじまり

昭和23年(1948年)頃

戦後まもない仙台。山形出身の料理人、佐野啓四郎氏が仙台市一番町で焼き鳥店を開いていました。佐野氏は、当時誰も注目していなかった牛たんを日本人の口に合う料理にしようと試行錯誤を重ね、塩で仕込んで焼く「牛たんしお味」にたどり着きます。

昭和23年頃、店名「太助」で本格的にメニューに載せたのが、仙台牛たん焼きの始まりです。昭和40年代には佐野氏のもとで修行した職人たちが独立し、仙台に専門店が少しずつ増えていきました。

焼き台の前で長い金箸を手にする牛たん焼き考案者・佐野啓四郎氏の白黒写真
牛たん焼きを考案した佐野啓四郎氏。

1975年、喜助の創業

昭和50年1月1日

1975年(昭和50年)1月1日、創業者の大川原要が仙台で喜助を開きました。太助の味に惚れ込み、その技術を学んでの独立でした。この経緯を、私どもは隠さずこう言っています。

創業当時の牛たん焼きを盛った白い皿と、喜助の銘が入った徳利・ぐい呑み
創業当時の牛たん焼き。徳利には喜助の銘が入る。

作った太助、広めた喜助。

喜助の立ち位置を、いちばん短く言い当てた言葉です。

「仙台名物」と最初に名乗った店

昭和50年代

1978年に法人化し、1980年には2号店となる駅前店を開きました。その駅前店の看板を掛け替えたとき、牛たん焼きに「仙台名物」という言葉を初めて冠しています。いま当たり前に使われるこの呼び方は、この看板から始まりました。

1982年(昭和57年)には東北新幹線が開業し、仙台を訪れる観光客が増えると、牛たん焼きは仙台の顔として全国に知られていきます。喜助も1980年代にかけて仙台で店舗を増やし、1993年には製造と加工を担うキスケフーズを設立。2004年には東京駅八重洲北口へ出店し、仙台の牛たん専門店として東京へ進出しました。

1978年当時の一番町店で、白い調理衣の創業者と若い職人たちが並んだ集合写真
1978年、一番町店の創業者と職人たち。
「お食事の店 味の牛たん 喜助」と筆文字で書かれた駅前店の立て看板(1980年)
1980年、駅前店の立て看板。
「仙台名物 味の牛たん 喜助」と墨書された木の看板が掲げられたエスパル店頭の白黒写真
エスパルの店頭看板。「仙台名物」の文字が掲げられている。

定食という型

仙台の牛たん定食には決まった型があります。麦飯とテールスープ、お新香、みそなんばん。喜助もこの型を守り続けています。

牛たんは一頭から約1kgしか取れない部位を使い、職人が一枚ずつ手作業で皮をむき、手ぶり塩で仕込んで数日間熟成させ、炭火で焼き上げます。創業から、この工程は変えていません。

麦飯とテールスープ、お新香を添えた1990年代の牛たん定食
1990年代の牛たん定食。麦飯とテールスープ、お新香。型はいまと変わらない。

BSE問題と仙台牛たん振興会

平成14年(2002年)2月

2001年9月、国内でBSEが発生し、牛たんの仕入れが難しくなった仙台の専門店はそろって苦境に立ちました。これを受けて2002年2月、二代目の大川原潔が中心となって設立したのが仙台牛たん振興会です。2026年4月1日現在、16社・192店(飲食店・物販店の合計)が加盟し、喜助が事務局を担っています。

仙台牛たん振興会ののぼりを囲み、こぶしを上げる加盟店メンバーの集合写真(2024年)
仙台牛たん振興会の加盟店メンバー(2024年)。

創業50年から先へ

昭和23年頃佐野啓四郎氏が「太助」で牛たん焼きをメニュー化
昭和50年大川原要が喜助を創業
昭和50年代駅前店の看板に「仙台名物」を初めて掲げる
平成14年仙台牛たん振興会設立。喜助が事務局を担う
平成29年一番町店がミシュランガイドに掲載
令和7年創業50周年。本社工場併設の仙台富谷店を開店

太助から受け継ぎ、仙台名物として広めてきた牛たん焼きを、次の50年へつないでいきます。

この歴史の続きは、いまの牛たんの味にあります。
職人が手ぶり塩で仕込む喜助の牛たんは、店舗と通販でお楽しみいただけます。

喜助の牛たんを見る